多分すぐに飽きる日記

文字を書く練習をする

第三世界の長井 3巻と4巻のI・Oの態度の変化について。

第三世界の長井3巻までと、4巻以降のI・Oの態度の違いについて今まで理解できなかった事がわかった気がしたから、忘れないように書いておく。

「俺だけ昼間に歩いてんのかも…」

「なんで俺は<俺>なんだ。」
「みんなで嘘に乗る。そこで生きる為に…きっとそれが正しい。なのになんで俺だけ違うんだ? 俺はここに生きる仕様じゃない。けど行くとこなんてない…」
「俺が誰なのか俺が知りてえんだよ。」
「なんで俺は<俺>なんだ。なんで俺はその辺の普通の奴じゃなくてこんな面倒な<俺>なんだ。俺も所詮長井達みたいに…単なるキャストの一人なのか?」
「自分が何者なのか知るのが怖くて…俺も結局ただのキャストなのかもしれないし…」
「俺は…俺…じゃあ俺は誰だってんだよ。」

 

このように、4巻以降I・Oが自分が何者かを気にする事が台詞は多い。
また4巻以前は長井やうるるに誰なんだと聞かれても無視してたが自分の情報を開示し始め(心を開き始め)ている。

 

「俺さあ…神とかI・Oとか…オカルト系の奴からはゴッド・メンシュとかいろいろ呼ばれたりするけど…」
「記憶がねえんだ俺。気付いたら道に立ってた…4年…5年ぐらい前? それより前の自分の事はなんにもわからない。俺が存在してた痕跡も丸っきりみつからない。」

 

これは俺が長井を100回くらい読んでいるせいでわからなくなってしまっていた事なんだけど、I・Oは4巻以前はそうした振る舞いをしていない。
世間に長井のような異常が知られることを心配したり、民間人の被害を心配をしたり、現状を嘆く台詞は多いけれど、自分は何者かという事を気にする素振りは見えない。

 

「俺が普通なら…こんな事考えないで済んだ…」
「俺もうやだよこんなの…」
「俺はなんでこんな目にあってんだ…」

 

なぜ4巻からI・Oが自分の事を気にし始めたかを考えると、3巻のラストの音那との会話が原因。

 

「お前は…お前自身が自分の答えを見つけるしかないんだ。」
「答えって…なんのだよ。世界の終わりはお前にだって観えてんだろうが。俺達の認識は距離だって超えてんだ。」
「それも自分で考えろ。普遍的な正しさなんて求めてない。お前が最後の最後まで信じきれる答えなら嘘だっていんだ。どうせ世界は…嘘だ。…そう思えばいい。あたしからはそれ以上は…言えない。」
「上等だ音那。見つけてやるよ俺の答えを! 俺がなんでここに在るのかを…世界が終わるまでの暇つぶしにな!」

 

この会話を俺は今まで雰囲気でしか理解できておらず、脈絡が理解できていなかった。

今日また長井を読んでいたら急に意味が分かった気がするので解釈を書く。
音那は、お前の質問には全て答えられないし自分で問いを立てて自分が正しいと思える答えを見つけて納得するしかないと一見無茶苦茶な事を言っているように思える。
けれどI・Oは「俺がなんでここに在(い)るのかを」と問いを即座に立てている。

 

3巻ラストのI・Oは世界の崩壊に耐えられず精神的に不安定になって、音那の話も聞かず詰問したり怒鳴ったりしているけれど、4巻ラストのI・Oと音那は描写された中で一番穏やかな会話をしていて「お前自身が自分の答えを見つけるしかないんだ。」という助言はI・Oに効いたらしい事。I・Oはこの音那の要求に納得した事がわかると思う。

 

I・Oと音那には作中では描かれていない5年前から半年前までの最長4年半の交流があったはずで、現在I・Oの近くにはカンジや横田のような人がいるけれど下記の台詞に表れいる通り彼らは役不足な感が否めず、I・Oの最大の理解者が音那であることが俺は嬉しい。

 

「本当のところはみんなにはちゃんと伝わってないんだろうなって思う。長井の異質さって本当に違うんだよ。けどその異質さはほかの奴には観えてなくて…」

「俺はあいつの側にも他の奴の側にも行けない。」

 

あと、「お前もそうだろうけど俺もお前の何もかもが気に入らねえ。お前は俺にとって世界を挟んで最も遠い存在だ。」とまで言った2巻時点のI・Oと音那の関係が、4巻ではI・Oの行動指針の根っこに音那の言葉があるわけで、まだI・Oには過去の事を許せない気持ちはあるのだろうけど、二人の距離が縮まったようでそれもなんだか嬉しい。

以上I・O×音那過激派からでした。