第三世界の長井 全話紹介&解説 第3巻
第10話『主人公』達
I・Oが長井を探しに学校へ行くとI・Oが制御し損ねたアンカーで校舎が異常な改変をされていた。長井は学校にはいない事を知ったところに、校門から異様な画風の男―マッハエース―が現れたためI・Oは彼の調査を行う。
マッハエースは「地球を守っていたジャック・ダニエルの代わりに”銀河連ぽう”から赴任したヒーローが自分である」という認識を持っていた。マッハエースの持つレーダーは”敵”を探知する。昨日の公園で長井がレーダーに反応したため、彼は長井を敵視していた。彼のレーダーが敵反応を示したため、彼がそこへ向かうとクッ付カセル星人と遭遇する。
クッ付カセル星人はマッハエースを戦うべきヒーローだと誤解して追いかけ、マッハエースは市街地を逃げ回る。空ではUFOの”すい星号”が飛び去っていく。
市民の混乱を見ながらI・Oは世界の終わりの近さと自分の無力を感じる。
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長井の通う高校が私立悪魔特捜隊本部高等学校になってしまいました。悪魔特捜隊本部はデビルマンに出てくる建物です。この下りはI・Oがアンカーを使った介入に積極的ではない理由を見せておきたかったのかなと思います。
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第5話で迷惑レイヤー扱いされた長井の「これがこの俺が身をすてて守ろうとした人間の正体かー?」もデビルマンの台詞のパロディです。ラーメン星人の必殺技名も”実写版デビルマン”です。ながいけんはデビルマンが好きなんだと思います。
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今回の話では長井が登場せずマッハエースにスポットが当たっています。そしてサブタイトルが”『主人公』達”です。前回のうるるの「この世でたったひとりの主人公こそが長井」という言説と対象的です。
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I・Oは「負荷」という言葉を稀に使います。字面や文脈から考えて一定の「負荷」がかかると人間は歪み、長井やマッハエースのようになるという理解が正しそうです。作中の描写から物理法則の破れを認識したり、書き換えられた過去と関わり深いと「負荷」が大きいのではないかなと思います。
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今回の話ではクッ付カセル星人、私立悪魔特捜隊本部高等学校、マッハエース、すい星号など異常なものたちが街中で市民に目撃されました。それらが周囲に「負荷」をもたらすので、前話より状況が悪化しています。
第11話 同一性と万物斉同性
I・Oが学校へ行くといつもと変わりのない長井が現れた。I・Oは長井とは何かを考える。
I・Oと長井とうるるは公園に移動しプロジェクトを進める。うるるは長井につきまとい身分や目的を明かさないI・Oを信用しない。うるるは長井が死にかけても何もしないI・Oを非難するが、I・Oもまた長井をヒーローにするために世界の破綻を顧みないうるるを非難する。
うるるは自分の行為とは関係なく世界の破綻は始まっている事、だからこそ無限の可能性を持つ長井をヒーローにすることの意義を主張する。I・Oはそれに対し思うところがあったが上手く説明できずうるるの主張を退けられない。
うるるが長井を変身させ再改造の具合を確かめていると、尾行していたマッハエースが攻撃を仕掛けバトルが始まる。戦いの最中警察が来たためうるると長井は逃走する。空では”すい星号”とドングリ・フリーダムの戦闘が発生し攻撃の余波で市街に被害が生じた。
同日夜I・Oは横田、大村、橋本の3人に会い調査報告をする。
横田はI・Oに現実と認識の関係を説明する。
大村はI・Oに戦争の危機を訴えドングリ・フリーダム関係の調査を要請する。
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I・Oは第1話で長井とは何なのかという疑問を持ちましたが「音那によってEアンカーで歪まされた元は普通の人間」という結論を既に下しました。それは第6話で音那に認められてもいます。長井の復活を見て改めて長井とは何なのかを考え直す必要が生じたようです。
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I・Oとうるるが口論します。うるるは長井が無限の可能性を秘めた主人公と認識し、I・Oは長井に世界を救う力はないと考えています。前提が両者で異なるので実のある議論にはなりませんでしたがこの経験でI・Oは自分が世界のことをちゃんと知らない事に気付いたようで、それが後の横田との会話に繋がっています。またこれ以降うるるのI・Oに対する態度が軟化します。
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I・Oが横田に質問を投げかけます。1巻の頃のI・Oはしきりに「どうでもいい」「関係ない」と言っていました。わからない事を質問するという行為からはI・Oに当事者意識が芽生え、主体性を持ち始めている事が読み取れます。
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今回横田が話している半側空間無視や、第14話で横田が話す盲点やカクテルパーティー効果は『脳の中の幽霊』という書籍で紹介されています。この本をながいけんも読んだようです。興味のある人は読んでみてください。
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ながいけんは『第三世界の長井』を連載する前『万物斉同』というイラストエッセイを連載していました。エッセイの記述ではながいけんは万物の価値は全て同じという、万物斉同に込められた意味に強い共感を覚えているようです。なので今回のサブタイトルは横田の台詞を強調するためにつけたのだと思います。第1話冒頭で「Real is no more than material.」(現実はただの材料にすぎない)という文章がわざわざ挿し込まれています。横田の話している事はこの作品の中心テーマなのだと思います。
第12話 意志と表現としての世界
I・Oが校舎内部の調査中に宇宙人が出現する。危険なので長井を校舎から連れ出す。
現れた復讐サレ星人と長井のバトルが始まったが、長井が一撃で相手を絶命させる。焦った長井が逃げ出すと、取り残されたI・Oはあまりの事態に笑みをこぼす。
音那が復讐サレ星人の死体を隠すために姿を現し、I・Oに労いの言葉をかける。I・Oが音那に質問するが音那は回答を拒否する。そこでI・Oは音那の目的や世界を救う方法を推測で語る。音那はそれらがI・O自身の言葉であることを確かめると笑顔を見せる。見下されたと感じたI・Oは激怒し音那を侮辱する。
音那は何も説明しない理由をI・Oのそうした感情的なさまにある事を明かし、やはり説明はできないと言う。代わりに「お前自身が自分の答えを見つけるしかないんだ。」と告げる。
I・Oは俺がなんでここに在るのかを見つけてやると返答する。
- サブタイトルは「意志の表象としての世界」のもじりのようなんですが自分は読んでいないのでよくわかりません。
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長井が他に殺したことがあるのは爆破星人だけです。爆破星人は覆面をしていて死体も爆散したので人を殺したという感じでもありませんでした。復讐サレ星人の死体のあまりの生々しさに長井が引いてます。
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第1話で音那はI・Oに「…お前は表層だけ見てそこから推察するつもりはないのか?」と投げかけています。言い換えれば「表層を見てそこから推察しろ」「自分で考えろ」ということです。
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I・Oの「お前もしかして…人類をわざと減らそうとしてんのか?」から始まる一連の話はI・Oが手に入れた情報を整理して自分で導き出した推測です。最後まで聞き終えた音那は「そういう事か…今のは全部お前自身の言葉か?」と質問しI・Oが肯定したため、自分の要望が叶った事に喜んで笑みを浮かべます。しかしI・Oは音那を憎んでいるためこれを嘲笑と受け取りました。
- 168ページのドングリ・フリーダムの下、「お前はあたしを全否定する。」の上に「みんなを助けられたらいいのに」という文章があります。この作品でコマの外に何かが書かれているのは珍しくほとんどがギャグ表現で、この文章だけが例外です。なので「みんなを助けられたらいいのに」は音那のモノローグという理解で良いと思います。音那は作中で悪し様に言われがちですが、悪い人でもないしI・Oの事を嫌ってもいないと思います。
コマの外になにか書かれているページ
- 第1話「第1話」(第1巻p.5)
- おわり(第1巻p.12)
- 博士の台詞(第1巻p.24)
- クッ付カセル星人のロゴ(第1巻p.138,p.145)
- 擬音(第1巻p.148)
- 長井のモノローグ カイジのパロディ(第2巻p.8)
- マッハエースの台詞(第3巻p.34)
- マッハエースの台詞(第3巻p.53)
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音那が状況の説明をしないのはI・O自身に問題があると明かしました。
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状況の説明の代わりに音那はI・Oに、自分の答えを探す事を提示しました。
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I・Oはこれまでに多くの疑問を抱いてきました。しかし他の疑問を差し置いて自分の存在理由を探すと答えました。それがI・Oにとって最も重要な事だからです。
第3巻はここまで。